大学院入試は再教育の機会


今日、弟とメッセで話していたら、
弟が何やら腹を立てていました。
弟の専攻の大学院が入試に今度から筆記が無くなるらしいのです。
英語はTOEICで代用、他は学部の成績と面接らしいです。
私の大学院もうちの専攻は私の代から、
学科で上位の人は筆記試験免除というものができて
私はそれで入試が大変楽だった記憶があります。
しかし、弟のところは全員が筆記試験免除になるとのこと!
たしかに、それは駄目じゃないですか?


なんか、世の中の流れで入試をオープンにしろ、というのがあるらしいです。
そうすると、大学の講義でやった内容をもとに出すと、
他の大学の人は受かりづらくなるので、専門試験はできない、
という論理になるらしいです。


今、国立の大学院って重点化で定員増えて、増え過ぎなのでは、
とは弟の意見です。事実、
弟の大学院の専攻はほとんど落ちる人はいない、とか。


先生側の論理だと

先生だって自分の専門以外の問題は解けないだろう。
でも、先生でも解けていた時代もあった。
それは、学部の授業を受けていたときでもいいし、
院試の時でもいい。
なにも院試でできていることは重要ではなく、
単位を取ったなら一度はできたはずだ。
だから問題ない。

という話だそうです。
成績と院試との関係を追跡調査している先生もいるらしく

学部であまりに成績が悪い人はやっぱり院試もできていない。
でも、それ以上、とかあるいは
好きなものはやるという人(つまりところどころ優がある人)は
院試でも中上位に食い込むことがある。
つまり、学部の成績があまりに悪い人は
統計的に大学院入試でもだめ、ということが分かっている。
だから、そもそも大半が受かるのだから、
TOEIC+面接+学部成績で
現状で確保している入学者と同じような集団を確保できるだろう。

ということらしいです。


なんと、むちゃくちゃな話でしょう、と弟は嘆いておりました。
私も同感です。
人的には同じでも、
下の方のレベルの人には
院試は勉強する機会=再教育をする機会
という意味があることを考えてほしい、と、
こうやって、レベルがどんどん下がって行く、、、
昔よりはすでに定員増で大学院のレベルは下がっているはずで、
これ以上下げてどうするのか、と、
嘆いておりました。


しかし、もう決定事項だそうで、
もう出て行く一大学院生の愚痴でしかないな、
というわけでした。
いやはや。。