法事in岡山


祖母の七回忌の法事を、
父の実家(岡山)の近くのお寺さんで行ってもらいました。
その後、祖母の墓参りに行き、
昼は実家に親戚が集まってゆっくり話をしました。


法事というのは、故人を偲ぶというだけでなく、
日ごろ会うことの叶わなぬ親戚に会うということに
大きな意味があるように思います。
というのも、父方の叔母は二人いるのですが、
上の叔母とは会う機会が殆ど無く、
その娘である従妹は顔も覚えてないほどでした。
一つ年下の彼女は、ladyでした。
また、上の叔母が去年胃がんになり手術をしていたことを
初めて知りました。
祖母と同じ病気です。
以前見た記憶とかなり違ってやせ細り、
年齢よりも10歳ほど老けて見えました。


私は、癌の研究に携わっていますが、
祖母や叔母の力になれることは無いでしょう。
祖父は祖母が無くなってから、ぼけてしまい、
さらに、病気で入院して一命をとりとめたものの、
今では老人ホームにお世話になっています。
「次に今日会えた親戚と顔を会わせるのは、
叔母のお葬式か、祖父のお葬式だろう」と思うと、
久しぶりに会えたことも、単純に喜べない気持ちがしました。


人は誰でもいつかは死ぬ、という当たり前の事実ですが、
死ぬ前をどういう風に過ごすか、というのは、
考えるべきテーマのように思います。
下の叔母の夫である叔父さんの父親も
ちょうど祖父と同じ時期に入院したりしたそうで、
二人の「お父さん」の面倒を岡山で見てくださっているのですが、
「今まで、妻と二人だけで生きていけると思っていたが、
やっぱり最期は誰かそばに(面倒を見てくれる人が)必要だなぁ。」
と話していたのが、心に残りました。


祖父が住んでいた父の実家は、今は誰も住んでいませんが、
「祖父が亡くなったら、この家をどうしようか
(おそらく売ることになるでしょう)」
という話まで発展するのは、
仕方がない事とは言え、どうも嫌な感じです。
自分の住んでいた家を失くす、という経験は、
どういう気持ちでしょうか。
私自身は、小さい頃に引越しを経験したせいか、
根無し草みたいな感じで、
実家(栃木)にあまり愛着がないのですが、
父は、小さい頃からご近所との関係も密着していて、
何十年も自分の帰る場所と認識してきた家を失うのは
とてもつらそうです。


しんみりした一日でした。